時代劇からみる江戸時代
『大岡越前』という番組を覚えていらっしゃいますか?
勧善懲悪の時代劇。改めて見直すととても楽しくて勉強になることばかりなのです。
歴史の授業に役立った?
子どもの頃のゴールデンタイムを彩った時代劇。今回は『大岡越前』から社会科『江戸幕府』のことを学習してみようと思います。
この番組は1970年から約30年間、TBSで放送されていた番組です。江戸時代、1716年から1736年まで期間、徳川8代将軍吉宗の時期の南町奉行であった大岡忠相(おおおかただすけ)が主人公のお話です。
放送当時小学生だった世代の方は、家族そろって観るということが当たり前の時代だったので、渋々親の観る時代劇を観ていたという方も多いと思います。
けれど、その仕方なく観た時代劇のうっすらとした記憶が、その後歴史の授業中にふと思い出されたりすることもあって、それをきっかけに史実がインプットされたということもあったのではありませんか?
振り返ってみるとあんなことが!ということが役に立っているということってあるものです。
大岡忠相とは簡単に
時代劇『大岡越前』の主人公、大岡忠相は、ザックリといえば、吉宗が行った享保の改革の政策に尽力した町奉行です。
その町奉行とは、どのような役職でしょうか。
江戸幕府のしくみ
まずは、この図をご覧ください。
江戸幕府は、このような組織になっていて、大岡忠相は、その中の『江戸町奉行』という職についていました。
ちなみに『江戸町奉行』は、南町奉行と北町奉行がそれぞれ1人ずつ担当しました。奉行は月番制になっていたため、どちらかひとつを管轄していたのではないそうです。
その『奉行』という職は、現在の警視総監と都知事を兼ね備えるだけではなく、裁判所長官の権限をももつ要職。とても責任のある職で、過酷な職でもあったということです。想像しただけでもとっても大変そう!
安泰な世にするために
江戸時代は安泰な時代であったといわれていますが、その前の戦国時代は、とても不安定な世の中でした。
だからこそ、江戸幕府の体制は、上記のように盤石な備えとしたのでしょう。
もちろん室町時代も、幕府は各地方に守護・地頭を配置し管理をしていました。
しかし、応仁の乱により幕府は二分化され、力は弱まり、幕府による統制が取れなくなりました。そんな中、各地方の両国では下剋上が起き、守護や有力国人らが力をもつようになり、その結果、力が分散されて戦国時代へと突入していったのです。
権力争いの結果、徳川家康が江戸幕府を開くことによって、太平の世が長く続きました。
町奉行所の跡地
大岡忠相が町奉行として働いていた『町奉行所』は、東京都有楽町駅の近くにありました。
有楽町駅前には『南町奉行所跡』の石碑があります。
当時の石がベンチとなり、今では私たちに憩いの場を与えてくれています。
2007年に開業された有楽町イトシア(複合商業施設)は、建築する前の埋蔵文化財の調査で南町奉行所の遺物や遺構が発見されたそう。現在の「有楽町イトシア」がある場所がちょうど約2620坪もの敷地の南町奉行所があった場所にあたるのだそうです。
平和な世の中
江戸時代は、それまでの戦国時代に終止符を打ち、世の中が平和であった時代ですよね。
だからこそ、町や幕府で起こる事件がクローズアップされ、それをお裁きで解決する時代劇は、観る人の心にスカッとした清々しさを与えてくれたのだと思います。
時代劇の持つ『勧善懲悪』は、昔話の『ももたろう』のようでもありますね。
『悪いことは悪い、その理由はこうである。だから反省するべきである』というわかりやすさと『しかし、なぜそのようなことをしてしまったのか、その気持ちも理解できなくはない』という温情が人情味があってホッとさせられました。