日光東照宮の見どころ
観光地、パワースポットとして人気の高い『日光東照宮』。人気の理由は世界遺産となるほどの建築様式や建築物群、そして優れた景観。その素晴らしさに誰もが目を見張ります。その魅力に触れることができない今、お出かけできる日を楽しみに、知識をたくさんインプットしておきましょう。
修学旅行の定番
小学校時代に首都圏に住まわれていた方は、修学旅行に日光へ行かれた方も多いですよね。日光への修学旅行で東照宮の見学は外せないものとなっています。行かれましたよね?
その理由は当然、世界遺産に認定されるほどの数々の建築物の見学なのですが、修学旅行は、ただ優れたものを『観る』ためだけに行くわけではありません。
修学旅行とは、文部科学省(以下「文科省」)の学習指導要領においての『学校行事』に位置づけられています。
遠足・集団宿泊的行事
自然の中での集団宿泊活動などの平素と異なる生活環境にあって,見聞を広め,自然や文化などに親しむとともに,人間関係などの集団生活の在り方や公衆道徳などについての望ましい体験を積むことができるような活動を行うこと。
(文科省 学習指導要領「生きる力」より抜粋)
すごく大雑把に言うと、文化遺産を観ながら、集団としてのマナーを考えた行動ができるようにするための体験学習という感じです。
意外にも、社会科の学習ではなく、行事の扱いになっています。
6年生社会科の学習
文科省が示す学習指導要領では、6年生の社会科について次のように記されています。
我が国の歴史や伝統を大切にして国を愛する心情を養うとは,我が国の歴史につ いての理解を踏まえて,国家及び社会の発展に貢献した先人によってつくり出された歴史や伝統を大切にして国を愛する心情を養うようにすることである。
(文科省 学習指導要領「生きる力」より抜粋)
このような目標があるため、平素と異なる生活環境であり、見聞を広めることができ、自然や文化などに親しむことができる日光は、修学旅行の行き先としてピッタリと考えられているのです。
日光東照宮の社殿
日光東照宮は1617年に建立され、徳川家康公が神様としてお祀りされています。
家康はここで東照大権現という神様となって関八州を守りました。ちなみに日光に家康のお墓があるかというと、「ある」が正解。
けれど久能山東照宮にもあるため、どれが本当のお墓なのか、またどれも本当のお墓なのか、さまざまな説があるため、確かなことはよくわかっていません。
さて、日光東照宮にある多くの社殿は、ほとんどが1636年に建て替えられたものです。ちなみに、社殿とは神社の建造物のことをいいます(デジタルデジタル大辞泉より)。
社殿を神体を祀っている建物のことをいう場合もありますが、日光東照宮のホームページに掲載されている社殿の解説をみると、社務所なども記載されていますので、ここでは「神社の建造物」を示しているのではないかと思います。
主な社殿は、石鳥居、五重塔、表門、三神庫、神厩舎(しんきゅうしゃ)・三猿、御水舎(おみずや)、陽明門、廻廊(かいろう)、唐門(からもん)、御本社、神輿舎(しんよしゃ)、祈祷殿(きとうでん)、眠り猫、奥宮、宝物館、美術館、武徳殿、客殿・社務所などです。
三猿は印象的
社殿の中で、一番よく知られているのが『三猿』や『陽明門』でしょうか。
日光といえば『三猿』。小学生も、この『三猿』はとても印象に残るようで修学旅行の感想やまとめの中には必ずといってよいほど登場します。もしかすると、おとなが意図的にこの部分を強調して説明している節があるかな?とも思うのですが・・。
なぜ、意図的に強調しているのかな?と思ったかというと、子どもたちに『悪を見ない、聞かない、言わない』ということを強調したい親心的な行言動が、いかにも先生にありがちだなと思ったからです。
小学生にとっては、『猿』は親しみやすいこと、『見ざる・言わざる・聞かざる』の語呂が楽しいこと、そしてその語呂をまねしやすいことなどが印象に残る理由のひとつかもしれません。
陽明門は飽きない
いつまで見ていても飽きないことから『日暮門』ともいわれている陽明門。こちらは子どもにとっては、あまり深く興味がわかないようです(苦笑)。
おとなになってからみると、その素晴らしさが心に響くのになあ・・。
『陽明門』については、後日別記事にしますので、少しお待ちくださいね。
鳥居から続く先
日光東照宮の社殿群はどれもゆっくり時間をかけて見学したいものですが、日光東照宮に行ったら、ぜひみてほしいものがあります。
まずは『東照大権現』と書かれている表門の中心からまっすぐ先を見るように立ってください。
そのずっと先、約140㎞にあるのが江戸城です。
もちろんその場所から江戸城が視界に入るということではありませんが、江戸城と日光東照宮が南北の直線状にあると想像すると、すごいなあ・・と思いませんか?
鳥居から140㎞先にある江戸城は、日光から見て南に位置します。つまり江戸城の北にあるのが日光東照宮。江戸城の北を守っているのが日光東照宮ということです。
北といえば、いつも夜空に見える北極星も真北にある輝星で位置が変わらない、いつもそこにある星です。これらのことから江戸城から日光までの道は『北辰の道』とよばれます。北辰とは北極星のことですよ。
日光東照宮が、江戸城から真北にあることから、いろいろな説がでていて、それを自分なりに解釈するのはとても楽しいと思うので、興味がある方は調べてみてください。私も『武将愛』さんのコラムでいくつか書いています。
ちなみに諸説ある中で、日光東照宮、寛永寺、湯島天神、神田明神、将門の首塚、日枝神社、増上寺を北斗七星の配置のように配置されているという説は有名です。
ちなみに、こういったことを考えたのも、あの『天海』です。
まとめ
日光東照宮については、細かく解説すると長ーくなってしまうので、ほんの一部だけをご紹介しました。
史実には解明されていないことがたくさんありますよね。今わかっていることを自分なりに解釈し、紐解いていくのは全く自由なことです。いろいろなことを想像し、想いを巡らせることも、おうち時間を過ごす楽しみのひとつになればよいですよね。
おとなが学ぶ小学校の社会