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【50代生き方】「人生の課題」なんて考えたことはなかった!

鷲田清一さんの著書から考えたこと

鷲田清一さんの著書で考えたこと

 

「わたしは「いない」より「いる」ほうがほんとうによかったのか・・・・・」

鷲田清一さんの『大事なものは見えにくい』(鷲田清一著 角川文庫)という著書の最初に、そう書かれていて、かなりドキッとした私。

そんなこと、これまでの人生で考えたことなんてなかったので、かなり強烈な投げかけでびっくりしました。

難しい問いかけを自分にしてみた

鷲田清一さんは、この著書で「60近くまで生きていて、まだこの問いから放たれていない」と記しています。

が、私は50代半ばにして未だに、そのような壮大な投げかけをしたことはありません。

私はこれまで自分が「いない」ほうがよかったかも・・と考えたことなどないつもりでした。

そこで、これを機に、この問いを自分に投げかけることにしました。

「わたしは「いない」より「いる」ほうがほんとうによかったのか・・・・・」

 

50代女性のための読書

 

わたしは「いる」ほうがいい。

(私は自分がいてよかったとずっと思ってきたし、今もそう思っている)

とっさに浮かんだのはそんな想い。

けれど、よくよく考えてみるとそんなことはないのでは?と思い考え直してみました。

その結果、今までずっとそう思い続けてきたのではないことに気づきました。

自分ではすっかり忘れていたこと。

というよりはむしろ、忘れようとして忘れているふりをしていることが沸々と思い浮かんできたからです。

高校時代。

自分は将来どんなことをしたいのか、自分の先にある未来がよくみえないときが私にはありました。

目標とするものがつかめず、ただ今を過ごしているという日々を送っていたころがあったのです。

今そのころの自分を客観的にみると、まさに

「わたしはいないよりいるほうがほんとうによかったのか・・」

という心境だったのかもしれません。

あまり思い出したくないことだったので、その気持ちは自分の心の引き出しにしまい込んで、鍵をかけていたことでした。

が、よい機会なので思い出して、自分の気持ちを客観的に振り返ってみることにしました。

高校生のころの私は、まだ将来のことなど全く考えていませんでした。

何になりたいとか、どんなことをしたいという強い想いはなかったのです。

漠然としたイメージの中には、自分がこれまでの環境から、こうだったらいいなあ・・と思うくらい。

職業はまったく思い浮かびませんでした。

自分が存在することの意味を見い出すことができない。

自分存在を価値あるものとして感じることもできない。

自分の存在価値を認めてもらっているという感覚もなかったように思い出します。

50代女性これからの暮らし方鷲田清一

何だか切ないですね。

とくに「自分の存在価値を認めてもらっているという感覚がなかった」というところにポイントがあると、今の私ならわかります。

自己肯定感が低かったのですね。

自分をみつめる学びとの出会い

そういえば、大学生のころでしょうか。

「モラトリアム人間」

「アイデンティティ」

「ピーターパンシンドローム」

「アダルトチルドレン」という言葉を頻繁に耳にするようになりました。

私は教育学を専攻していたので、心理学は必修で、こういった言葉にも随分と興味をもち、小此木圭吾先生や香山リカ先生の著書をいくつも読んだ記憶があります。

ちなみに「アイデンティティ」とは「自我同一性」のこと。

ざっくりいうと「環境によってさまざまに変化する自己がいろいろな役割を演じても、自分を統合するかわらない自己」、「他人とは違う自分の部分」のことです。

この概念を定義したのはエリクソン。

教育学や心理学を専攻した人は、エリクソンは必ず教科書でみているはず。

50代におススメの本

「モラトリアム」は、アイデンティティの確立を先延ばしにすること。

「モラトリアム」が有名になったのは、医学者であり、精神分析家である精神科医の小此木圭吾先生の著書『モラトリアム人間の時代』(中公文庫)によるものが大きいと思います。

ですので「モラトリアム」よりは「モラトリアム人間」のほうがわかりやすいかもしれません。

「モラトリアム人間」は、自己を確立しない自己形成途中の人のこと。

大人社会の一員になりきれない人間という感じです。

「ピーターパンシンドローム」はイギリスの作家ジェームス・マシュー・バリーの戯曲『ピーターパン~大人にならない少年』に登場する「ピーターパン」にちなんでアメリカの心理学者ダン・カイリ―が定義しました。

大人になりたくない少年、大人になることを拒む大人。

現実逃避していつまでも子どものままでいたい男性のことをそういいました。

「アダルトチルドレン」は、親からの虐待などの機能不全家庭で育ったことにより生きづらさを感じている人のことをいいます。

もとは、アメリカでアルコール依存症の親元で育った人のことを指すものでしたが、1985年に『The Adult Children of Alolhlics Syndrome(アダルトチルドレン・シンドローム)』(W.クリッツバーグ著)が刊行されたことによって「アダルトチルドレン」という言葉が注目されるようになりました。

まさに私は大学生。

もちろんリアルタイムでこの著書を読みました。

自分の存在を肯定できたこと

そんな私が、自己肯定感を高めていくことができたのが「教師」という仕事でした。

自分のしたことに反応してくれる子どもたち。

喜んでくれる子どもたち。

一緒に笑ったり、泣いたりできる子どもたちとの時間の共有。

私は「自分の存在価値」を子どもたちから認めてもらったといっても過言ではありません。

退職するときに先輩の先生からのメッセージをいただきました。

そこには

「いつも子どもたちと泣いたり笑ったり、あなたのイメージはそういう感じでした」

と書かれていました。

教師という職業を通して私は「自分」のイメージを変えることができたのでしょう。

今タイムマシンがあったら、高校生の私のところに行って言ってあげたいくらいです。

 

「いるほうがいいよ」

「いるほうがいいに決まってるよ」

「あなたは将来とてもしあわせな気持ちになれるんだよ」と。

人には誰にも「自分」の存在価値を確かめたくなる時期があるのかもしれません。

多感な時期が私にもあったんだなあ・・と思うと感慨深いです。

あなたにもそんな思い出があるかもしれません。

いないほうがいいということはある?

50代女性におすすめの本

今では迷いなく、私は「いる」ほうがよいと思ったのもつかの間。

私は「いない」ほうがよかったっていうこともある?ことを思い出した私。

あるよね?

あるよ、ある。

私がいなかったらよかったことなど、この他にもたくさんあるかもしれません。

鷲田さんのその著書を読み進めていくと、

「わたしがいたせいで厄介なめ、難儀なめにあったひとも少なからずいる。わたしがいるせいで苦しんだひともいる。わたしとかかわることがなければ、別のもう少しはましな人生を送れたのではないかとおもうひともきっといるだろう」

と書かれていて、何だか自己嫌悪。

私ってどれだけ傲慢な考え方をしているんだろうとシュンとなりました。

私って自分勝手。

自分のことしか見えていないのかも。

しかし鷲田清一さんはこの著書で、そんなことを感じさせたいと思ったわけではないはずです。

少なくとも私のように、その箇所を読んだだけで「いない」という点に着目して自己嫌悪に陥るための話ではありません。

「人生の課題」の投げかけが難しい!

50代女性におすすめの本鷲田清一

「いる」ほうがよかったという意味を考えること。

自分の存在「いる」「いない」ということに向き合うことの大切さ。

「いないほうがよかった」ということから気づく「いる」ことの尊さ。

「課題」としてというよりも「自分の存在を意識すること」「向き合うこと」が大切なのではないかという鷲田さんのメッセージ。

もしかすると、鷲田さん自身の中だけの疑問や問いかけだったかもしれません。

けれど読者である私は、それを受けて「考えた」ことに意味があったんだろうなと私は感じました。

「ある」ことの尊さを知るには、「ない」ことを意識しないと本当の価値がわかりにくいのかもしれません。

難しいですね・・。

けれど、本は自分に何か気づきを与えてくれるからいいんですよねえ。

気づかされることがたくさんあるエッセイ集

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『大事なものは見えにくい』(鷲田清一著 角川文庫)という文庫本はエッセイ集なので、短いお話がたくさん入っています。

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単行本『噛みきれない想い』(鷲田清一著 )の文庫版ということなので、そのエッセイ知っている!という方もいらっしゃるかもしれません。

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あるいは、2002年~2008年に北海道新聞や京都新聞に寄稿したエッセイということですので、新聞で読まれたという方もいらっしゃるかも。

どのエッセイも深く難しく鋭い視点でかかれていますが、文体は非常に柔らかいので、読みやすいのではないかと思います。

ひとつひとつにドッキリするのではないでしょうか。

高校入試や大学の入試試験などにも使われています。

鷲田さんの視点に驚くことばかりで、挙げるとキリがないほどですが、私が心に残った文章をピックアップさせていただきますね。

また、こちらで書かせていただいた内容は私の個人的な感想です。

異論もあるかもしれませんが、個人の感想ということでご理解ください。

感慨深い名文の数々

今回、ここで挙げるのは、すべて鷲田清一さんの著書『大事なものは見えにくい』角川文庫より出版されているものから抜粋させていただきました。

抜粋した文の最後に記載したページを記してあります。

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『納得』より抜粋

「わたしたちが生きるうえでほんとうに大事なことは、なかなか分からない。いや、大事なことほど分からない。たとえば、ものが在るということの理由、わたしがここにいるということの意味・・・・・。身近なものほどむずかしい。ちなみに顔ひとつとっても、それは他人にとってはわたしの存在そのものなのに、よりによって当のわたしだけはそれを見たことがない」(P14)

『ひとを理解するということ』より抜粋

「家裁で調停の仕事をしている知人から、こんな話を聞いたことがある。言い合って、言い合って、言い合ったはてに、万策尽きて、もはや歩み寄りの余地、「合意」の余地はないとあきらめきったそのときから、「分かりあう」ということがはじまる、と。この話はいろんなことを考えさせる。まず、分かる、理解するというのは、感情の一致をみるというのではないということ。むしろ同じことに直面しても、ああこのひとはこんなふうに感じるのかというように、自他のあいだを差異を深く、そして微細に思い知らされることだということ。いいかえると、他人の想いにふれて、それをじぶんの理解の枠におさめようとしないこと、そのことでひとは「他者」としての他者の存在にせっすることができる。ということは、他者の理解においては、同じ想いになることではなく、じぶんにはとても了解し難いその想いを、否定するのではなくそれでも了解しようと想うこと、つまり分かろうとする姿勢が大事だということである。」

『意味はなくとも』より抜粋

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「人生においては、意味のないことかもしれないが、それでもだいじなことがいろいろある。G・オールウェルが描いたひとりのビルマ人の姿はその最たるものだ。死刑囚が絞首刑台に連れて行かれる。その途中に水たまりがあった。ズボンが濡れないように、彼はひょいと水たまりをよけた。オーウェルは死刑囚のからだに染みついた品位に、眼を奪われた。どうせ死ぬのだから、ズボンが濡れようが濡れまいがたいした問題ではないはずだ。けれども、死刑囚はその水たまりを確実によけた。ひととしての品位はこういうところにこそある。意味がなくても、役に立たなくても、得にならなくても、それでもしなければならないあことがある。」(P214)

そして次が私の一番好きなエッセイです。

『届く言葉、届かない言葉』より抜粋

「子どもが、いや大人でも、ほんとうに浴びたい声はそういうものではない。背後に社会が透けて見えない、だれかの存在そのものであるような声、もっぱらわたしのみを宛先としている声である。そういう声のやりとりのなかで、ひとはまぎれもない〈わたし〉になる。〈わたし〉を気づかう声、〈わたし〉に思いをはせるまなざし。それにふれることで、わたしは〈わたし〉でいられる。」

自分なりの気づきがあればいいよね

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これまで自分が「いない」ほうがよいとか、「いる」ほうがよいとか考えたことがなかった私。

そういうことを考えることはとても大切なことだったと思いました。

50代も半ばになると、自分の人生を振り返るくらいの年月もあるので、この本を読んで少しだけ「今の自分」の存在価値のようなことを考えてみました。

また、自分が封印していた「嫌な記憶」は、自分だけにおこる感情ではなかったこともわかりました。

そのときはわからなかったことが今なら理解できることがあるということも改めて感じました。

けれど今の私たちにはまた「今」の問いがあり、その問いの答えは今わかるものではないかもしれません。

もしかすると、答えは必要ないということもあるでしょう。

ただただ自分にとっての気づきのためにこの本、本当に読んでよかったなあ・・と思いました。

まとめ

「私の存在が自分以外の人にとってどうあったか」ということは、いつかわかるときがくるのだろうか・・という気がしますが、「自分が今ここにいることができてよかった」と私は思っています。

とても主観的ですが「わたしはいるほうがよかった」という思いで満ち溢れていると思える自分がいること、そのことが「しあわせ」なのではないかと・・。

れでいいかなと。

とりあえず今は。

みなさんは、このエッセイからどんなことを想われるでしょう